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世界は、公正でも公平でもない。
少し前の話だが、本年3月は、国際協力の仕事でドミニカ共和国の貿易投資人材育成センターで仕事をした。
以前、多くの奴隷積み出し基地が残っている西アフリカのガーナで仕事をしたことがあるが、今回の仕事で、15-16世紀以降、欧米先進諸国が、12~20百万人と云った多数のアフリカ人を奴隷として、アメリカ大陸に運び出した事実とつながったような気がした。
カリブ海でキューバ島に続いて大きなイスパニョーラ島(現在は、ドミニカ共和国とハイチ)に、コロンブス一行は、1492年12月5日到着したと海外旅行の解説書に出ていた。
そう言えば、アメリカ大陸発見は、イシクニ(1492年)と覚えた記憶がある。
しかし、新発見と言うのは、全くのでたらめで、島には、タイノ族など、原住民がいたのだった。
(私たちは、何のことはない、一方的西洋史観を勉強していたわけだ。)
その後、スペインによる植民地政策からの重労働や病気で、16世紀の終わりごろには、タイノ族らは、絶滅したと伝えられている。そこで、スペインは、アフリカからもっと頑健な労働者として黒人奴隷をつれてきた。だから、現在のドミニカ共和国は、白人も20%足らずだが、多くが肌の黒いBlack Countryだ。
(100年くらいの間に、原住民を抹殺とは、事実として重いように思うが・・。そして、強い武器で我物顔に振る舞い、最後には敵を全滅すると言うのは、当時、一つの選択肢だったのだろう。こんなことを知ると、ブッシュ政権の米軍事政策がよく理解できる気がする。)
コロンブスは、現在のサント・ドミンゴに町とともに河口に向けて要塞をつくり、他の欧州列強諸国に対抗した。
河口には、要塞の大砲などが今も残るが、とにかく、強いやつがきたら、そいつらに乗っ取られる世界であった。
1844年、ドミニカ共和国として独立したが、その後もスペインへの併合やアメリカによる占領などがあり、1930年から独裁政権のトルヒーリョ大統領の時代となる。
トルヒーリョ政権は、1961年、ケネディーの反共政策の実施を担っていたCIAの工作により暗殺されるまで続いた。
米ケネディ政権は、第2のキューバ化を恐れ、政権転覆を武力で実行した。
現在も、CIAからマシンガンを受け、大統領を暗殺した7名は、英雄碑に名前が刻まれている。
暗殺隊は、側近フアン・トマス・ディアス将軍のひきいる将兵7名だが、ディアスは車を停車させた上、27発の銃弾を大統領の全身に撃ち込んだと、やはり、解説書にある。
カンボジアのポルポト政権による200万人の殺戮、ソ連スターリン時代の?百万人から?千万人の粛清とか、時の政権が自国の一般民衆を大量に殺戮する例はあるが、ある政権が、他国の大統領を暗殺することで、政治を動かそうとしていた時代も、それほど、昔ではない。
そう言えば、カザフスタンでコンサルティングをしていた時、軽い気持ちで「ソ連のスターリン時代は、国民をxxx百万人殺戮したらしいね。」などど言ったら、社長の顔色がさっと変わったので、余計なことを言ったと肝を冷やした。
どうも、私たちが一般に知っている数字は、ひと桁少ないらしいのだ。
顔色が変わったのは、もちろん、カザフスタンもソ連邦の一部だったからだ。現在の若い人々にも抱えきれないほどの重い話がたくさんあるのだろうと想像できる。
そう言えば、ロシアでの仕事の時に、ロシア人通訳が、スターリンとは、鋼鉄のスティールから、スターリン自身が取ってつけた名前だと言う。なるほど、堅い印象がある名前だが、彼は、やると決めたら徹底的にやったのだろう。会議では、言葉少ない人物だったらしいが、巧妙に人々をコントロールする能力はあったのだろう。
昨年、ロシアの新しい学習指導要綱が、スターリンが強制収容所で数百万人を処刑したり収監したのは、「合理的」であったとして論議を呼んだらしい。スターリンは近代国家の建設を図ろう とした「鋼鉄のような指導者」であった。 だから、本当は、数千万人を殺戮したのかも知れない。
この管理手法のある意味での効率の良さは、とてもよく理解できる。
現在でもソ連時代の共産主義の影響を強く受けている旧ソ連地域の組織経営を見ていると、組織の外も内も、つまり、外部市場も組織内部にしても、人間の自然な欲望を無視して、組織の上からの管理と命令で、全体を動かそうとしているように見える。確かに計画経済とはそういった性格なのだろう。
こうなると、人間は窮屈に感じる。アルコール中毒患者も自殺も増えるだろうことは、容易に理解できる。個人の自然な欲望を否定されると人生は重苦しい。(実は、旧ソ連の国々と日本の自殺率は、同じように高いので気になるが・・・。)
ロシアの顧客企業もアル中患者がやたらに多く、やめる人材が多いので困ると言うのが、最初の課題だった。カザフスタンでもスーパーのアルコール飲料の販売棚の広さが半端ではない。ワインは、西からの輸入が多いが、ウォッカも物凄い種類があるものだと感心する。
私の経験でも、なんと4割~7割の人材が一年間に転職してしまう組織もある。
(これは、価値軸を変革すればかなり改善できるから、コンサルタントとしては、あまり心配したことでもないのだが、経営上、大きな問題なのだ。)
これは、根本的な経営哲学が、不健全で仕事のやりがい、人生に生き甲斐を感じさせるとか、個々人の「幸福感」を醸成しようとしないからだが、スターリンの頃は、政権に不都合な人間が絶えなかっただろうと思う。
だから、殺戮して解決することは、合理的で、そう言うマネジメント手法しか知らない政権トップが熱意があればあるほどそうしたのだろう。
ところで、ドミニカ共和国の滞在中、経営セミナーの準備をしていて、とたんに自分が反省しなければならないことに気がついた。
自分は、ここで言うほど、自己変革できているだろうかと。
Organizations should serve the market (customers) by overcoming EGOs either individual or organizational, because values exist opposite to EGOs.
(組織の存在理由は、組織の内でなく外部市場での価値創造にある。組織は、顧客市場にサービスすべきであり、そのためには、個人や組織全体のエゴを克服していかなければならない。)
どこかの市役所職員に聞かせてやりたい言葉だが、企業経営でも同じことだ。
顧客でも税金を支払う市民でも、組織に収入をもたらす。だから、仕事は、顧客や市民への価値創造を第一として考えるべきなのだ。
組織の内部にいる経営陣や労働組合を第一にすると、米自動車産業のようになっていく。それは、かつての英国病と同じく「人基準」(注)組織文化の問題だ。
ここで、専門家にEGOとは何かと問われたので、それは、自分自身の過去だと、答えた。
色々良いことを教えられても実行するためには、効果を信じやってみなければいけない。
それは、自分の過去から決別し、新たな自分になることでもある。
あらゆる仕事の価値は、自分の内にはなく、外にあり、組織の存在理由も、同様、内にはなく、外にある。
そうでなければ、ソ連時代の共産主義社会のように、やがて、経済社会そのものが立ち行かなくなってしまう。
ソ連時代の労働者は、極論すれば、サービスすべき相手をついに発見できなかったのだ。
サービスの相手は、仕事をしなければ自分を収監するか殺戮することのある組織の上層だった。そこに、顧客市場はなく、仕事を喜んでくれる消費者やTaxPayerは概念上いない。
そう言えば、「ハタラク」とは、「はたを楽」にさせるという説明方法が、日本語にはある。
これは、若い人たちに仕事の目標を身近に諭して、仕事人生に早く慣れてもらおうとする親心から出た言葉のような気がする。
それにしても、何ということだろう。
組織経営セミナーの内容を考えていたら、日本語の基本的な言い方「ハタラク」に戻ってしまっていたのだった。
考えてみれば、Value Managementは、価値を求め、価値を創造しつづけなければならない経済社会に生きる私たち全員にとって、当り前の概念だと気がついた。
それにしても、観光資源と欧米の巨大市場をかかえて、スペインのシエスタ文化の残るドミニカ共和国の人たちにどれだけ理解されたのだろうかと、今は思う。
残念ながら、日本人のように世界中の人達が、がむしゃらに働かなければならないと言う規則は、どこにもない。
世界には、恵まれている人たちがいて、彼らは、のんびり楽しく人生を生きることが約束されているのだ。
ドミニカ共和国にしても、世界最大の市場:米国が近くにあり、実際、多くの米企業が、彼らの言葉で言うFree Zones(保税地域で輸出入に税金がかからないので、現地の人々がそこで働き、安価な労働力を提供する)に工場を持っていて操業している。
そして、数本のバナナの木を庭に植えるだけで、一年中、バナナができ、一生「職」にあぶれても「食」にあぶれることのない世界だ。
そう言えば、インドネシアの大臣が、日本がコメの不作で輸入せざるを得なかったときに、こう言ったそうだ。
4か月ほど前に、そう言ってくれれば日本の方々のために増産しましたよ。
かの地では、3期作で、年3回米ができるから、4か月もあれば、十分増産に間に合わせることができたと言うわけである。
地球規模で考えた時、私たちの人生は、公正でも公平でもないと言えるのかも知れない。
(注)「人基準」は、人の過去や人の属性である出身、学歴、性別、年功などを評価し報酬を決め「人」に支払うこと。「仕事の価値」を高めるという努力がまるで効いてこない評価制度。「仕事基準」とは、働く人が創出する仕事の価値を評価して「仕事」に対価を支払うこと。
(平成21年5月より、同窓会事務局が移転、庶務幹事の交代で、
担当者が、私の同期の神戸宣明教授になられましたので、ご挨拶がわりに寄稿させていただきました。
神戸先生、お久しぶりです。また、今度よろしくお願いします。)
写真:奴隷貿易船にアフリカ人たちを積載する当時の計画図- 管理者 : 渡辺 穣二 (2009/05/30 18:56)